「伝える」…「教える」の項でも書きましたが、相手が受け止めて、返答なり行動なりのパフォーマンスで示してくれて、はじめて「伝わっている」と、言えるのだなと、本日、痛感しました。本来は、伝える手段や伝達結果の信賞必罰によってのみで「いつも伝わっている」という結果が出せればよいのですが、相手は他人であって、わが手足でもいわんや脳味噌でもないので、「伝え切る」ことには、自分の考える以上に大きなエネルギーを要するのだと、思った次第です。
数字にするのは無理がありますが、自分の情熱や重視している度合いを100として、相手にも100受け止めてほしいとしたら、自分の熱意の「くどさ」は1000くらいのエネルギーにして、示す必要がありそうです。
明日から、いや今からより「くどい」人間になろうと思います。